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マスカレイド配布小冊子 のプレビュー

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2008年11月16日に開催された、『うみねこのなく頃に』オンリーイベント「Masquerade-マスカレイド-」で配布された小冊子の抜粋です。
改行・誤字・頁など原文なるべくそのままにしました。

[編集]ある料理人の雑記


――忘れる為に、ここに記す。
願わくは、自分も誰もこれを読まないことを望む。



 伊豆七島ってくらいだから、伊豆諸島には7つ以外の島はないと思っていた。

 六軒島は、当初は相当の小さな島だと聞かされていた。
 だが、貧困な想像力で思い描くところの、椰子の木が一本だけ生えているクジラの背中
のような、畳一枚分しかないような島、というイメージに比べたら、六軒島は充分な広さ
を持っているように思えた。

 島の海岸線は10kmちょっと。全長は3kmあるかどうか。
 それは地図上では確かに小さなものだが、その島に右代宮家の邸宅が一軒あるだけの、
個人所有の島だと考えた場合、その広さは想像を絶するものとなるだろう。

 見事な薔薇庭園の向こうに、堂々とした屋敷を構えた貫禄は、初めて訪れた自分を大い
に驚かせたことをよく覚えている。

 自分の、料理人としての人生が、まるで漫画かおとぎ話の中に出てくるような、大富豪
に専属料理人として召し上げられることにつながるなんて、夢にも思わなかった…。



 そもそも、運がなかった。
 高級ホテルの老舗レストランは、確かに素晴らしい技術を持った料理人たちが腕を競い
合う、緊張感溢れ誇りを持てる素晴らしい職場だった。

 だが、それ以上にプライドやしきたり、しがらみなどが強かったことも事実だ。
 それは、強力なカリスマで料理人たちをまとめてきた総料理長が、突然、体調を崩し引
退することになった時、一気に噴出した。

 腕もプライドも人一倍の料理人にとって、尊敬できるのは自分より優れた料理人だけだ。
だから、どんな石頭も生意気も若造も、総料理長が睨みを利かせている限り、一丸となっ
て仕事をした。
 だから、その総料理長が突然引退すれば、これは必然の結果だったのかもしれない。

 そこでいくつかの派閥に分かれた。
 厨房内でもっとも人望のある人物が、総料理長になるべきだと期待されていた。その人
物は、尊敬できる実績と技術、そして熱心な後輩指導などが高く評価されていた。
 しかし、アクの強い人物であったことも事実で、特にホテル側とうまくやれていたとは
言い難い。

 ホテル側にとって必要なのは、然るべき納期で然るべき予算で、充分な結果を出せる料
理人であり、充分な結果のために、納期や予算で対立する料理人ではない。……その、料
理人としての優先順位の違いが、トラブルとなった。

 ホテル側が推薦した候補者は、典型的な日和見主義者だった。料理の腕よりも、権力者
に媚びへつらっているような印象が強い。彼は、料理の技術を磨くことよりも、次期総料
理長の座を狙うためだけに今日までを過ごしてきたようにさえ見えた。


 結論から言うと、その男が総料理長に就任することになった。我々が納得する人物は、
その補佐ということになった。
 我々はその結果に納得しかねたが、しばらくは様子を見ようとその体制で厨房を回し始
めた。

 しかし、先代との差はすぐに顕著に現れ、料理人たちの不満は爆発した。
 料理人としての誇りを無視したやり方に賛同できない料理人たちは多く、もちろん、俺
もその中のひとりだった。

 やがて、補佐とその同調者たち全員で辞表を叩き付けることで、ホテル側を無理やり交
渉のテーブルに付かせようという話になった。
 もうそれ以外に方法はないというような空気感だった。


 俺は当時、腕もプライドも誰にも負けない、若手の筆頭格だった。……今にして思えば、
料理人であると同時に、ホテルの従業員でもあるという自覚には、欠けていたかもしれな
い。
 補佐は元々、その乱暴なやり方に、初めから乗り気ではなかったらしい。
 もっともそれは後になってわかることだが。当時の若手の俺たちは、いよいよ補佐も反
旗を翻し、あのクソムカつく二代目に一泡吹かせてやれると意気込んだものだ。

 結果、最後に待っていたのはとんでもないどんでん返しだった。
 補佐は最後の最後に慰留され、クーデターに加わらなかったのだ。……実はホテル側は、
派閥抗争が激化した厨房の膿出しをするいい機会だと考えていたらしく、自分たちに有用
な人材には予め慰留を掛けておき、その上でクーデターの発生をわざと見過ごしたのだ。

 俺にはその慰留はなかった。
 ………つまり、ホテル側にとっては、ちょうどいいお払い箱だったわけだ。
 当時の俺たち若手衆は、補佐とクーデターに参加しなかった仲間を、裏切り者だと罵り、
労働争議のような構えを見せはしたのだが……。

 料理人は料理を作ってこそ料理人だ。そして、料理を作らなければ、自分もメシが食え
ない。
 冷静になった者から順に、その騒ぎからひっそりと身を引き、再就職をして消えていっ
た。……その段階に至って初めて、俺はようやく自分の青臭さに気付くのだった。

 老舗レストランの元料理人という肩書きは、武器にもなるが、重石にもなる。再就職先
を見つけるのは容易ではない。

 同格のレストランやホテルへの就職を求めたが、横のつながりが強いこの業界では、ト
ラブルの経緯がすでに知れ渡っていて、トラブル当事者たちを雇ったら今後の関係を見直
させていただくとでも言うような、回状までが回されていたと聞く。
 もはや、俺が料理人と再び名乗れる機会は、金輪際、訪れそうになかった……。


 そんなある日。
 俺に同調して一緒に辞めた後輩から連絡を受けた。
 ある大富豪が、住み込みの料理人を探している、というのだ。
 話を聞くと、給金は悪くないが、労働条件はかなりキツそうなイメージだった。
 その後輩が、かつて世話になった恩返しにと、俺にこの話を振ってくれたのだ。

 何でも、大富豪一家が、専属の料理人を探していて、かなり腕前に注文をつけてきてい
るという。

 しかし、かなりの腕を持つ料理人は、普通、どこかに所属していて、フリーということ
はありえない。それに世話になったしがらみもあり、高給を示されたからといって、ほい
ほいと辞められるわけもない。

 つまり、俺のような人間にはぴったりの求人だったというわけだ。
 孤島のお屋敷で、専属の料理人として仕える……。悪くないシチュエーションだった。
 それに、もはや選り好みできるほどの経済的余裕はない。そして、俺の若々しいプライ
ドも満足できるだけの格もある。
 そして、右代宮家の料理人選考に参加したのだ。


 俺の他にも、10人以上の若手料理人が集められていた。
 正直なところ、俺が最高齢だったかもしれない。……本当の意味で若い連中の中にいる
と、自分のことをまだ若いと思っている自分が、自意識過剰なだけなのではないかと思っ
てしまう。

 ただ、若い料理人たちも、良いインスピレーションを持っていた。さらに経験を積めば、
さらに素晴らしい料理人になるだろう。
 積み重ねという点で、やはり俺にかなりの有利があった。

 また、先代総料理長の仕込みである、接客技術も大いに評価された。厨房から出ない料
理人と、VIP相手に自ら料理を運び、歓談することさえあるホテル料理人の差が歴然と
出る。
 だから、まず俺が採用されるだろうという手応えは感じていた。

 ……しかしそれでも、“他の職場のクセがかえって邪魔になる”というような理由で、
若手を優先して採用する可能性もある。
 結局のところ、神頼みだった。
 だから後に、夏妃奥様の鶴の一声で俺に採用が決まったと知った時、後光が差して見え
たものだ。

 こうして俺は、右代宮家に仕える専属料理人に決まった。
 契約期間中は、関係者以外の人間に一切料理を振舞ってはならないとする契約も、非常
にエグゼクティブに感じられ、俺のプライドをこの上なく刺激した。

 俺の料理は右代宮一族以外には提供されない…!
 悪くない。こうして俺の第二の人生が、六軒島の屋敷で始まることとなったのである…
…。


 俺の料理人としてや、使用人としての苦労話は、ぐだぐだ書いても面白くないだろう。
俺も書いて面白くない。だから、六軒島に勤める人間として、面白いことを書くことにす
る。

 その最たるものが、黄金の魔女、ベアトリーチェの伝説だろう。

 日本全国、どこにいっても祟りやら呪いやらの話はあるものだ。もちろん、俺が勤めて
いたホテルでも、そういう話はいくらでもあった。
 だから新しい職場でそういう話を聞いた時、あぁ、ここにもそういう話があるのかと苦
笑いしたことを思い出す。

 それにしても変わっている。
 日本の怪談は、大抵、幽霊とか日本的な妖怪だ。それが、黄金の魔女、ベアトリーチェ
さまと来るのだから、……何とも違和感を感じたものだ。

 しかし、この時代錯誤さえ感じさせる右代宮家のお屋敷においては、三角巾を頭に巻い
たお岩さんみたいな幽霊が出てきても、むしろ失笑してしまうだけだったろう。このお屋
敷に相応しい怪談だったのかもしれない。

 大広間に堂々と掲げられている肖像画のご婦人が、夜な夜な屋敷を徘徊しているという
のだ。
 そして、そのご婦人こそが、この屋敷の夜の支配者であり、敬いの気持ちを欠かすとひ
どい目に遭わされるとか何とか。

 聞く話では、ベアトリーチェさまのことを馬鹿にする発言をした使用人が、大怪我をし
て辞めたみたいな話もあるらしい。

 ……まぁ、そういうもんだ。何か不幸があれば、それは全て、ベアトリーチェさまの祟
りということになるわけだ。
 ということは不幸が起こった時、敬いを示していなかった人物に責任を転嫁する雰囲気
になりかねない。俺はすぐにそれを理解し、ベアトリーチェさまを畏怖しているジェスチ
ャーを心掛けるようにした。
 しかし内心では、そんな馬鹿なことがあるものかと嘲笑っていた……。

 この、ベアトリーチェの怪談は、古参の使用人たちによって妄信されていた。
 敬わないと祟りがある、というよりは、まるで、実在した人物が非業の死を遂げ、今な
お敬われている…、というような空気感に似ていた。
 少なくとも、ベアトリーチェを馬鹿にするような発言をすることは、現に慎むべきであ
るという強い空気があり、たとえ茶飲み話であったとしても、軽々しいことは口に出来な
かった。

 人間、面白いもので、そういう中にずっと身をおいていると、本当にそういう気持ちに
なってくる。
 いつの頃から俺も、深夜の見回りで巨大肖像画の前を通りかかると、その目がぎょろり
と俺を睨んでいないかと怯えるようになり始めていた。
 それでも、俺には怪談以上のものにはならなかった。……少なくとも、最初のうちは。


 夜の見回りは、広大な屋敷内の戸締りを全て確認しなくてはならないため、骨が折れる。
しかし、家人たちはもう寝静まっているため、使用人としては肩の力が抜ける。

 そんなある晩。
 大広間に通りかかった時、大階段の上へ、人影が消えていくのを見た。足音も聞いた。
 もう旦那様も奥様もお休みになられているだろうと思い、少しダレていたので、俺は大
慌てで緊張感を取り戻した。

 それは、ふわっとした影だったので、何となく女性的なイメージを受けた。
 使用人に、あんなシルエットの人間はいないから、自動的に、奥様かお嬢様だろうと思
った。ネグリジェとかのシルエットのように、何となく思えたのだ。

 しかし、よくよく考えてみれば、おかしな話だった。
 奥様は非常に厳しい方で、屋敷内の廊下は公道と同じであると常々言われていた。
 つまり、寝巻き姿などのみっともない姿で廊下を歩いてはならない、ということだ。

 実際、右代宮家の人間は、自宅であるにもかかわらず、いつも余所行き同然の服装をし
ていた。自宅なんだから、もっと楽な格好でくつろげばいいのに、という論法は、右代宮
家では通用しない。

 実際、お嬢様が着崩しているのを奥様に咎められ、叱責を受けているところも見たこと
がある。

 だから、よくよく考えてみれば、そんなシルエットの人影が、屋敷の中で見られたはず
はないのだ。人影を思い出せば思い出すほど、あれが、この屋敷の誰かであるとは考えら
れなくなった…。

 一体、俺は、……誰を見たのだろう。
 まさか本当に、………ベアトリーチェさま………?
 あの人影を見たのは、大広間。……つまり、ベアトリーチェさまの肖像画の前。
 人影を見たその時よりもむしろ、時間が経ってからの方が薄気味悪かった。




「嘉音さん。今はお暇ですか?」
「………道具を洗って片付けたら、大階段の掃除をするつもりですが。……何か?」

 嘉音という仮の名を持つ、片翼の鷲を許された少年の使用人。
 彼とは、初めから仲良くなれないと思っていたし、これからもそのつもりはない。
 ……しかし、その時は珍しく、彼と話がしたいと思った。

 俺よりも勤続年数が長く、……ベアトリーチェさまの怪談に詳しくて。……それでいて、
ちょっとだけ俺優位で話しかけられる相手。

 それくらいの気分で、彼に話しかけたのだ。
 俺は、自身の体験を誰かに話したかった。

 話してどうなるというものでもないのだが、誰かに話さなければ落ち着かなかったのだ。
 なるほど、王様の耳はロバの耳と、叫ばずにはいられなかった床屋の気持ちがよくわか
る…。

「………あれはベアトリーチェさまだったんでしょうかね。……嘉音さんには似たような
経験は?」
「……………………………。」

 じっと沈黙して、値踏みするような目で凝視する。
 ……まるで、留まるべきか逃げるべきかを思案する猫のようだった。
 あからさまに無視されたのだろうかと思いかけた頃、嘉音さんは返事をしてくれた。

「………僕は深夜勤の見回りの時。………黄金の蝶を、見たことがあります。」
「黄金の蝶……? ……ベアトリーチェさまが現れる時に先触れとして飛ぶとかいう
…?」

 そういうことになっていた。
 金色に輝く蝶は、ベアトリーチェさまの現れる予兆なのだという。

 それはまるで、幽霊が出る前に現れる人魂によく似た位置付けだと感じていた。
 しかし人魂と違い、黄金の蝶には不気味なイメージはない。どちらかというと、もしも
実在するならぜひ一度見てみたいような美しさを感じる。

 ………しかし、たったひとりの深夜の見回りでそれに出くわしてしまったなら、きっと
相応に不気味ではあるだろう。

「……古い使用人たちの間では、黄金の蝶はベアトリーチェさまの現れる先触れであり、
……そしてその後を追えば、ベアトリーチェさまに出会えるだろうと言われていますが、
その後を追ってはならないともいわれています。」

「だから嘉音さんは、後を追わなかった……?」
「はい。……それはベアトリーチェさまに対し、不敬に当たりますので。」


「……その後を追った使用人が確か、大怪我をして辞めたんでしたっけ?」
「そう聞いています。……ベアトリーチェさまは、敬う者には寛大ですが、それを欠く者
には残酷だそうですので。」

 嘉音さんの雰囲気は、ベアトリーチェさまの話を濫りにすることさえ不敬であるという
ような感じだった。……単に私を嫌っている以上のものを感じた。

「貴重な時間を失礼しましたね。多分、あれは私の見間違いだったのでしょう。……多分、
奥様かお嬢様が、寝巻き姿で歩かれたのを見て、勘違いしてしまったのでしょう。」

「……………………。……奥様やお嬢様が、そのような姿で廊下に出られることは、断じ
てありません。」
「しかし私は姿を見ました。白い…、ネグリジェを着た女性のようなイメージだった。」

「………奥様とお嬢様の寝巻きに、そのようなものは聞いていません。」
「……………………………。」

 その否定的な答えこそが、初めから答えだったのかもしれない。
 奥様でもお嬢様でもない、女性の影。
 ………それは本当に、ベアトリーチェさまだったのだろうか。

 腑に落ちない。あの程度のことで、魔女が存在するなんて認めたくない。……あの人影
が誰なのか、はっきりさせたかった。
 そしてそれは多分、表情に出てしまったのだろう。それに嘉音さんは気付き、まるで忠
告のように言う。

「………郷田さん。悪いことは言いません。……ベアトリーチェさまを冒涜するような行
為は、慎まれた方が身のためかと思います。」
「はっはっは、…まさかまさか。そんなつもりはありませんよ。」

「僕も以前。…ベアトリーチェさまの存在を、疑ったことがあります。」
「え? 嘉音さんが?」

「はい。………今、郷田さんが持っている感情と同じです。古い使用人たちが、敬え敬え
と繰り返す謎の魔女の存在に、疑問を感じたことがあります。……もしその正体があるな
らば、暴いてやろうとさえ。」

 意外だった。
 ベアトリーチェさまを妄信すると思っていた彼も、かつてはその存在に疑いを持ってい
たというのだ。
 ……ならばこそ、気になった。

「その嘉音さんがなぜ、……信じることに?」
「……………………。…………魔女にしか出来ない奇跡を、……見せられたからです。い
え、奇跡じゃない。あれは警告でした。………その存在を疑い冒涜する僕に、ベアトリー
チェさまが警告されたのです。」


「………その話。聞いてもいいですか?」
「……………………………。」

 彼はそこで再び沈黙する。
 しかし、胸の中のもやもやを何とかして晴らしたいと思う俺も、簡単には引き下がらな
い。
 やがて彼は根負けして、彼が魔女の存在を信じるようになったという“事件”を話して
くれた…。


 それは簡単に整理すると、こういうものだった。
 園芸倉庫に、彼が綺麗に道具を収めて片付けたある日。彼は、園芸倉庫の鍵を使用人室
のキーボックスに戻すのを忘れ、ポケットに入れたまま就寝してしまったという。

 園芸倉庫のシャッターは、専用の鍵ひとつでしか開け閉めが出来ない。マスターキーは
なく、スペアキーもない。
 つまり、その晩、誰も園芸倉庫には入れなかったわけだ。

 そして次の朝。
 薔薇庭園の手入れをするため、道具を出そうと園芸倉庫を開けて、彼は驚愕した。
 あれだけ丁寧に整頓したはずの倉庫内がめちゃめちゃになっていて、……しかも床に血
のように赤い塗料で、まるで魔法陣を思わせるような、不気味な図形が描かれていたとい
うのだ。

「そんな馬鹿なことが。…嘉音さんが鍵をずっと持っていたなら、園芸倉庫は密室ではあ
りませんか。誰にも、倉庫内をめちゃくちゃにして、そんなおかしな図形を描けたわけも
ない。」

「…………私も当時は信じられませんでした。……シャッターを開き、まるで竜巻が通り
過ぎた後のような倉庫内がそこにあり、不気味な魔法陣が描かれていた時の衝撃は、今も
忘れられません。」

「確かに、……そんなことがあったら薄気味悪くて仕方ない。しかし、こうは考えられま
せんか? それがあなたを驚かすための手の込んだ悪戯だという可能性も。」

「………………………。……悪戯……?」

「えぇ、そうです。あなたはお若い。他の使用人たちにからかわれて、そういう悪戯をさ
れたのでは?」

「……でも、鍵は僕が持っていた。あの晩に限ってだけは、誰も倉庫に入れたわけもな
い。」

「嘉音さんがご存知ないだけで、もうひとつスペアキーがあるということもあるんじゃな
いですか?」
「………いいえ、ないはずです。」


「それを言い切れますか? 嘉音さんはスペアキーはないと信じてる。しかし、“ない”
は証明できない。実は嘉音さんが知らないだけで、スペアキーは存在するんじゃないでし
ょうか? そう考えれば、その不可解な密室事件は、誰かの悪戯で説明できますよ。」

 俺はちょっと、名探偵にでもなったような気分だった。もちろん、彼からの反論はない。
 だから気を良くし、私はベアトリーチェさまを批判するようなことを口にしてしまった。

 魔女など存在するわけがない。きっと何かの見間違いで、魔女が起こした不可解な出来
事の数々も、きっと全て何らかの偶然やトリックで説明がつくはずだと。

 …………その時、嘉音さんが見せた、大きく目を見開くような表情が、忘れられない。
 そのような恐ろしいことを口にして、きっとただでは済まないとでも言うような、……
愚かな怖いもの知らずに驚くような、…そんな表情だった。

 彼のその不気味な表情が、調子に乗り掛けていた私の心にしばらくの間、棘として残る
のだった………。




 そして、その棘の痛みを忘れかけたある日のこと。
 その日は珍しくお館様が外出された日だった。……しかもその上、旦那様、奥様、お嬢
様までもが旅行で不在という、右代宮一族が島からひとりもいなくなるという、とても珍
しい日だった。

 そのため、シフト表は人数を薄く設定され、この日は、源次さんと私の2人だけが担当
になっていた。

 鬼の居ぬ間に何とやらとはよく言ったもの。本当に気楽な一日だったことを思い出す。
 源次さんはずっと使用人室で、書類事務に忙殺されていた。

 なので俺はこっそりとのんびりと、薔薇庭園を散策し、缶ビールと柿の種で薔薇に乾杯
をしたものだ。本当に気楽な、毎週一日はこういう日があっても良いと思える素晴らしい
一日だった。

 だから、食事も、自分と源次さんの賄い分だけだったので、簡単に済ませた。
 料理の手間がないから、片付けも簡単。せっかくなので、普段よりも丹念に厨房を掃除
し、ピカピカのシンクに満面の笑みを浮かべたものだ。

 源次さんは見回り当番だったので、私はそれを終えると使用人休憩室へ戻り、のんびり
とシャワーを浴びて一日の疲れを癒したのだ。(疲れも何も、薔薇庭園で一杯やっただけ
だが…)

 そしたら、電話が鳴り響いた。
 この時間にわざわざ電話が掛かってくるのだから、何か急を要することだろうかと驚く。
 源次さんは、深夜には電話を鳴らすのも上品ではないという考えの人で、深夜に急用が
あっても電話は極力使わず、相手の部屋まで行ってノックする人だった。

 そんな源次さんが電話を鳴らすのだから、一体何が起こったのかと、大慌てでバスタオ
ルを被りながら受話器を取ったのだ。
 何かありましたか? その返事は実に単純だった。

「……大至急、厨房まで来て欲しい。急げ。」

 その声は、源次さんにしては、少し上擦ったような感じだった。
 声色だけで、何かおかしなことが起こったに違いないと想起させた。

 ……しかし、一体何が起こったというのか。
 厨房と言えば、自分にとってもっとも重要な守備位置だ。そこで何か不手際があったと
すれば、それは紛れもない自分の責任。…しかし、自分に限って、厨房で不手際があるだ
ろうか? とにかく、もう一度着替え、厨房に駆け込むしかなかった。

 そして、………そこで目にしたものを、俺は忘れられないだろう。

「……こ、これは、……………どういうことですか………。」
「手伝ってほしい。私ひとりでは手に負えない。」


 この異常な状況を見て、源次さんの驚きようが、声が上擦った程度でしかないことの方
が、今となっては驚きだった…。
 何しろ、………整然と片付られた、非の打ち所のないはずの、……自慢の厨房が、……
………なぜこんなことに……。

 配膳台の上に、………銀色に磨きこまれた鍋やボゥルが、……まるで子どもの積み木遊
びみたいに……、高々と積み上げられているのだ。

 そしてその周りに、お玉などの調理器具が放射状に並べられ…。………何というのか、
第一印象はまるで、原住民が調理器具で作ったトーテムポールか何かのようにさえ見えた。

 そして、………それらをぐるりと取り囲むように、血のように赤い塗料でべったりと。
……不気味な魔法陣のようなものが描かれているのだ。
 背筋をぞぉっとしたものがこみ上げたのは、言うまでもない……。

 そして。脳裏に、あの棘が蘇る。
 ……これなのだ。嘉音さんが園芸倉庫の中で見たものは、まさにきっと、……これなの
だ…。

「……郷田。こんなものを他の使用人たちに見せるわけにはいかない。今夜中に急いで片
付けよう。」
「そ、そそ、そうですね…。片付けましょう…。だ、誰がこんなことを……!」

 それは口にしてみておかしな話だった。
 今日は六軒島に、自分と源次さんの2人しかいないのだ。

 俺がこんな馬鹿をするわけがない以上、……犯人は自動的に源次さんということに……。
 いやしかし、……源次さんに限って、こんな馬鹿なことをするだろうか…?!

 こんな悪戯をして何になる?! 俺に対する嫌がらせ?! でもしかし、源次さん自身
だってこうして片付けをしている。自分で散らかして自分で片付けるなんて、……そんな
無駄なことを、単に俺を驚かせたいがためだけに、こんな深夜にやるだろうか…?! そ
れこそ考えられない!

 このグロテスクな魔法陣の悪戯に、もし犯人を求めるならば。……………黄金の魔女、
ベアトリーチェだとしか、考えられない……。

「げ、源次さんはいつこれに気付いたんですか……?」
「見回りが終わって使用人室に戻ろうとしたら、厨房の扉が開けっ放しになっているのに
気付いてな。………覗いたら、このザマだった。」

「まさか……泥棒………?!」
「戸締りは完全だった。それにこの六軒島に、泥棒などわざわざ来るわけもない。」

「じゃあ、………誰がこんなことを……!!」
「………………………。……それを詮索する必要はない。郷田はとにかく、鍋を片付ける
ように。私はこれを消す。とにかくこの落書きを他の者の目に触れさせるわけにはいかな
い。」


「あ、あの、私、……嘉音さんに聞いたんですが、前にも園芸倉庫でこんなことがあった
とか……。こ、こういうことはその、…よくあるんですか……?」

 それは聞いてはいけないことだったのかもしれない。
 口は動かしても、手を止めることはなかった源次さんが手を止め、険しそうな表情を浮
かべながら顔を上げる……。

「…………嘉音め。あれほど口外してはならないと言ったのに。」
「す、すみません、彼のことは叱らないでください! 私が無理に聞きだしたんです…!
それより教えてください…! こういうことはその、……前にもよくあったんですか
…?!」

「……時にな。よくある悪戯だ。」
「い、悪戯って、一体誰が…! だって今日は、私と源次さんしかいないんですよ?!
他に誰がいるというんです?! もちろん私じゃない! じゃあ、源次さんがこれを?!
そんなわけだってあるはずがない!! じゃあこれはどういうことなんです、誰の仕業な
んです?!」

「………それを無理に考えようとしてはならない。ただ黙って片付けるのだ。……決して
誰にも口外してはならないぞ。お館様はもちろん、旦那様にも奥様にも、もちろんお嬢様
にもだ。……嘉音は後で罰しておく。」

「に、二度と聞きませんから教えてください…! じゃあ源次さんはこれを、ベアトリー
チェの仕業だというのですか…?!」
「その名をむやみに口にするな。」
「…な、なぜです。」
「…………その名をむやみに、そして呼びつけにする使用人は、なぜか長く持たないから
だ。郷田の料理の腕は、特に奥様が高く評価されている。……お前に辞められては困
る。」

 それはやんわりとした脅迫のようにも聞こえた。
 そして同時に、これがベアトリーチェ“さま”の仕業であることを、半ば理解している
とでも言うようだった。

 ……この奇怪な事件は、……おそらく、園芸倉庫の事件だけではないのだ。
 それらは起こる度に、家人に知られる前に処理され、伏せられてきたに違いない……。

「に、二度と迂闊には口にしませんから………、教えてください。これは、……ベアトリ
ーチェ、さまの、……仕業なのですか……。」

「…………………………………。……私はそうだと思っている。……過去の例では、より
不可解な事件もあった。明らかに人間には不可能な形で。」
「それは……どのような……………?」

「……夜回りをしていた若い使用人が、黄金の蝶を見て、その後を追った。戸締りがされ
た勝手口に行き着き、見失い断念した。」
「確か、黄金の蝶を見ても、……後を追ってはならないということになってましたね…
…?」


「うむ。……そして後を振り返った時。……そこの壁にはこれと同じような魔法陣が壁い
っぱいに描かれていたのだ。」
「え?! じゃ、じゃあ……、その若い使用人が黄金の蝶を追って、諦めて…。…振り返
ったらもうそこに描かれていたというのですか? 壁に背を向けていたわずか数秒の間
に?!」

「………見過ごすような壁ではなかった。彼女は、壁に最初、何も描かれていなかったと
強く証言している。そして勝手口が施錠されているのを確認し、引き返そうと振り返った、
わずか数秒の間だったそうだ。」
「ま、まま、まさかご冗談を……。そんなの、その使用人たちの冗談では…?」

「……連絡を受けて私もそれを消すのを手伝った。……複雑な紋様だった。わずか数秒で
描けるものでは断じてない。そして、見過ごすことも断じてないだろう。その使用人はそ
の直後に高熱を出し、入院して退職した。その後は郷里に帰ったらしい。連絡も付かな
い。」

「…………そんな馬鹿なことが……。い、いや、それすらも高度な悪戯かもしれない!
むしろ、その若い使用人が悪戯の犯人で、そういうことにしてみんなをからかったとか…
…。」
「………………なるほど、そういう見方も出来るかもしれないな。……もうおしゃべりは
これまでにしよう。……だが私は。絶対に人間では不可能なことを、………自らの身をも
って体験している。」
「え………。そ、それは一体…………?」
「…………………………………。」


 源次さんはそこで言葉を切る。…………そして長い沈黙の後、俺を無視して掃除を再開
した……。

 仕事に対しては徹底的に厳格で、その意味では現実主義者的な源次さんが、ベアトリー
チェさまのことに関してだけは、口を噤む…。
 源次さんの沈黙が、むしろ百億の言葉よりも雄弁に、魔女は実在すると俺に語りかけて
くるのだ……。


 全ての後片付けを終える。
 ……厨房に、あんなおかしなトーテムポールと魔法陣があったなんて、私たちが口にし
ない限り、誰も信じないだろう。
 源次さんは再度、誰にも口外しないようにと釘を刺すのだった……。




 俺はその夜の出来事を、強いアルコールで脳を浸すことで、無理やりに忘れ去ろうとし
た。
 そして短くない時間が経ち、……性質の悪い、何者かの冗談だろうと割り切れるように
もなった。

 だが、今でも時折、恐ろしい。
 朝一番に起きて、朝食の準備をするために厨房に入る時。
 ………調理器具が不気味に積み上がってるようなことがまたあるのではないかと、俺は
怯えている。

 思い出してはいけない。
 俺はそれを、ここに記すことで忘れようと思う。

 何しろ、俺はもう二度と、あのような不気味な目には遭わないだろうから……。

Toshiro.G









ざァんねん!! また遭いますからァ!!









07th Expansion Presents

うみねこのなく頃に

Tips
ある料理人の雑記

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