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【1:525】 よろず推理処(その4)
1: 名前: 名無しさん:2013/08/08 20:54ID:a0igU.fg
このスレッドは『うみねこ』完結から随分時間が経過したにも関わらず、真剣に考察したい人の為に設けました。考察する内容等は問いませんが、たった一つだけルールを設けさせていただきます。
仮名で構わないから、1人1つのハンドルネームを必ずつけ、発言者が誰であるか(どの発言と同じ人物であるか)を明確にすること
これは“誰”が“どの発言”を“誰”にしているのかが解らないことで、考察や議論の妨げになることを防ぐためのルールです。ご理解とご協力をいただける方、このスレッドでまだまだ終わらない『うみねこ』考察を楽しみませんか?
仮名で構わないから、1人1つのハンドルネームを必ずつけ、発言者が誰であるか(どの発言と同じ人物であるか)を明確にすること
これは“誰”が“どの発言”を“誰”にしているのかが解らないことで、考察や議論の妨げになることを防ぐためのルールです。ご理解とご協力をいただける方、このスレッドでまだまだ終わらない『うみねこ』考察を楽しみませんか?
45: 名前: ドロクロド:2013/08/22 21:29ID:e487eM0d
考察者としてのスタンスは人それぞれで構わないと思いますので、オプスさんご自身がそう考えることに、なんら異論は
ありませんが、「作者のミスを公然と指摘する者は、気構えと教養が欠けている」と、自分だけでなく他者まで「考察者とは
こうあるべきだ。そうでないのはレベルが低い」とするのは、はっきり言ってちびゆかさんと同じです。
シャーロキアンのことはご存知でしょうか?
ドイルの作品には、明らかな作者のミスと思われるものがけっこうな数あります。
「これは考察の対象(謎に絡むもの)だろうか?」と判断が微妙なものから、ある登場人物の名前を別の人物の名前で呼んでいたり、
計算を間違えていたり、科学知識を誤解して間違っていたりと、『うみねこ』で言えば、秀吉ゾンビや島の大きさの違い、
マスターキーの本数「以上」、ヘンペルのカラスのような明らかな間違いまであります。
普通の読者(考察者)は「あ、これは作者のミスだな」とスルーして解釈しますが、シャーロキアンはミスだと本当はわかった上で
それでもそれが成り立つような解釈を考えるのです。
ただシャーロキアンの方が熱狂的であるというだけで、どちらが良い悪い、レベルが高い低いという話ではありません。
例えば、公式に訂正のあった秀吉ゾンビでさえ、「いや本当は秀吉は生きていたんだ。それを隠そうとする者が訂正という形で
隠蔽しようとしたんだ」とかシャーロキアンなら言いそうです。
(まぁシャーロキアンと一口で言っても、いろんな人がいるのも確かですが)
ちなみに私のスタンスとしては、作者のミスはそこそこあると思っています。公式に訂正のあったものもありますし
小説や漫画などになる際に、訂正ないし変更された箇所もあります。
それで「じゃあもう他にはない」とは思えないですよ。実際、パンダとか明らかにおかしい箇所も残っていますし。
それどころか、初期の構想からだいぶ変わった部分もあると思っています。
例えば公式HPの作品紹介の煽り方は『うみねこ』が完結した後でみれば、やはり適していない(『うみねこ』を表現していない)と
思いますし、作品全体としての整合性はあまり高くないのではないか、とさえ思っています。
もちろん、これは『うみねこ』固有の欠点というわけでなく、半年に一回の発表で4年続けた作品なら、初期の構想と
変化があって当然だと思っていますし、作者のミスがあったからと言って、それら(のほとんど)は些細なものであって、
ミスがあるからと言って『うみねこ』の価値が落ちるとも思っていませんけどね。
ありませんが、「作者のミスを公然と指摘する者は、気構えと教養が欠けている」と、自分だけでなく他者まで「考察者とは
こうあるべきだ。そうでないのはレベルが低い」とするのは、はっきり言ってちびゆかさんと同じです。
シャーロキアンのことはご存知でしょうか?
ドイルの作品には、明らかな作者のミスと思われるものがけっこうな数あります。
「これは考察の対象(謎に絡むもの)だろうか?」と判断が微妙なものから、ある登場人物の名前を別の人物の名前で呼んでいたり、
計算を間違えていたり、科学知識を誤解して間違っていたりと、『うみねこ』で言えば、秀吉ゾンビや島の大きさの違い、
マスターキーの本数「以上」、ヘンペルのカラスのような明らかな間違いまであります。
普通の読者(考察者)は「あ、これは作者のミスだな」とスルーして解釈しますが、シャーロキアンはミスだと本当はわかった上で
それでもそれが成り立つような解釈を考えるのです。
ただシャーロキアンの方が熱狂的であるというだけで、どちらが良い悪い、レベルが高い低いという話ではありません。
例えば、公式に訂正のあった秀吉ゾンビでさえ、「いや本当は秀吉は生きていたんだ。それを隠そうとする者が訂正という形で
隠蔽しようとしたんだ」とかシャーロキアンなら言いそうです。
(まぁシャーロキアンと一口で言っても、いろんな人がいるのも確かですが)
ちなみに私のスタンスとしては、作者のミスはそこそこあると思っています。公式に訂正のあったものもありますし
小説や漫画などになる際に、訂正ないし変更された箇所もあります。
それで「じゃあもう他にはない」とは思えないですよ。実際、パンダとか明らかにおかしい箇所も残っていますし。
それどころか、初期の構想からだいぶ変わった部分もあると思っています。
例えば公式HPの作品紹介の煽り方は『うみねこ』が完結した後でみれば、やはり適していない(『うみねこ』を表現していない)と
思いますし、作品全体としての整合性はあまり高くないのではないか、とさえ思っています。
もちろん、これは『うみねこ』固有の欠点というわけでなく、半年に一回の発表で4年続けた作品なら、初期の構想と
変化があって当然だと思っていますし、作者のミスがあったからと言って、それら(のほとんど)は些細なものであって、
ミスがあるからと言って『うみねこ』の価値が落ちるとも思っていませんけどね。
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