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【1:525】 よろず推理処(その4)
1: 名前: 名無しさん:2013/08/08 20:54ID:a0igU.fg
このスレッドは『うみねこ』完結から随分時間が経過したにも関わらず、真剣に考察したい人の為に設けました。考察する内容等は問いませんが、たった一つだけルールを設けさせていただきます。

仮名で構わないから、1人1つのハンドルネームを必ずつけ、発言者が誰であるか(どの発言と同じ人物であるか)を明確にすること

これは“誰”が“どの発言”を“誰”にしているのかが解らないことで、考察や議論の妨げになることを防ぐためのルールです。ご理解とご協力をいただける方、このスレッドでまだまだ終わらない『うみねこ』考察を楽しみませんか?
391: 名前: おいさん:2013/09/30 21:56ID:1cKrhJcL
すぐ戻るつもりが、会議が急に入ってしまいました。
これからEP7考察を書かせていただきます。

まず、私は各EP・偽書(ボトルメール)それぞれ意味と目的を持って書かれていると考えています。
EP7の目的は、ベアトリーチェを殺すことです。
なぜそのようなもが作られるか。それは全てを終わらせるためです。
幾子の現実世界では全てを明らかにして六軒島騒動を終わらせるため「真実の書』が書かれ(推理では無く事実であることを示すため絵羽作にしてありますが実際は幾子作です)、物語としては中心にいるベアトリーチェを殺すことによって物語世界を終わらせる「うみねこ最終章」としてEP7は作られたのです。

では、ベアトリーチェを殺すとはどういうことか?其の為にはまずベアトリーチェとは何かをはっきりさせる必要があります。
これはラムダがベアトリーチェにはっきり言っています。ラムダの力添えが無ければお前は魔女ではない哀れな者にすぎない。(資料が無くて原文そのままでは無いのはお許しください。)
この哀れな存在とはヤスのことでしょう。つまりベアトリーチェとはヤスに被せられた幻想そのものなのです。
この幻想はヤスだけに被せられたものではありません。
それは閉め忘れた窓の鍵にも、夜の森の危険にも、様々な失敗、いたずら、嫌がらせ、教訓、子供と作る御伽噺世界にも、寂しさを紛らわすための空想にも、そして、金蔵が持っているという大量の金塊や、そのいきさつにも・・。
六軒島爆発事件に関する3日間にも、あったかもしれない惨劇にも。
つまりベアトリーチェとは六軒島で頻繁に使われる、様々な出来事や想いに対し様々な目的で被せられた幻想の総称なのです。

その幻想=ベアトリーチェを殺すにはどうすればいいか?
ラムダに対抗するには、やはりベルンしかありません。
つまり、腹を割いてはらわたを引きずりだしてしまうのです。
幻想を切り裂き、その中に隠れた正体を明らかにしてしまえば幻想=ベアトリーチェはもう存在できません。散って消えていくだけです。
そこには、手品か魔法かなどという優しい選択など許されません。言ってみれば、カップの中にそっと飴を忍ばせるところを隠し撮りしておいて、いきなり見せつける。という幻想=魔法を殺してしまう行為ですです。

猫箱をこじ開け、六軒島の全ての幻想=ベアトリーチェ達の腹を切り裂き、正体を明らかにしベアトリーチェを皆殺しにするためにEP7はあるのです。
その象徴として書かれているのが冒頭の棺です。死んで散り消えてしまった中身の無いベアトの棺それはEP7のあり方そのものです。
ですからその中に入れられるのは、実際のEP7でそうであるように『IF理御がいたらの世界の物語』なのです。

その意味は3つあります。
①まず、ベアトリーチェ達の中心いるヤス=ベアトの想い。
ヤスがベアトという幻想の中で本当に望んでいたもの、それは自分自身とその居場所です。
男でも女でも無く、本名も無い。いくら当主を受け継いだといっても、貴賓室の中から右代宮の親族たちが談笑しているのを、寂しく聞くしかない。その一員には入れない事。
自分という存在も、そのいるべき場所も失っているヤスにとって、理御の存在の幻想とは望んでやまぬ救いでしょう。
恋なら、失うこともある。命もいつかは無くなります。しかし自分で選んだ自分の人生を送りたかったというヤスの思いを、この救いの無いEP7に僅かでも示そうとしたのです。

②またEP7はベアトリーチェ殺してしますので、ベアトリーチェは存在していられません。そのため代理として必要なのが理御なのです。

③そして、理御の存在によって最後のベアトリーチェ、三日間=惨劇=ベアトリーチェの腹を割くことになるのです。
理御のいるヤス=ベアトリーチェが存在しない世界で惨劇が起きるなら、惨劇が起きるのにヤス=ベアトリーチェが必要ないということを意味してしまうのです。
その結果、惨劇=ベアトリーチェの中から出てきたはらわたが『お茶会』なのです。

ホントのことを全てさらけ出すという、グッドでもバッドでもないデッドエンドのEP7=真実の書に対抗しそれを封印して、別のエンディングを迎えるために縁寿が提示したのが『縁寿による、うみねこ最終章=EP8』なのです。
これに関して説明するとさらに長くなるので今回はしません。

つまりEP8はEP7の続きでは無く、EP7に替わってEP6に続く『うみねこ最終章』になるべく作られたものであるのです。
そのためEP8の戦人たちもEP7ではなくEP6から続いてる存在なので、EP7を知らないのです。

できるだけ簡潔に書こうとしましたが、わかり難いところはお許しください。
これが私の考察における『EP7に戦人が棺桶に入れたのは何故「理御の物語」であったか、そしてEP8で戦人が理御を知らなかったのは何故か』の答えなのです。
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