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【1:1000】 よろず推理処(その3)
1: 名前: ケーナ:2013/01/14 05:01ID:c4OIlNsN
このスレッドは『うみねこ』完結から随分時間が経過したにも関わらず、真剣に考察したい人の為に設けました。考察する内容等は問いませんが、たった一つだけルールを設けさせていただきます。
仮名で構わないから、1人1つのハンドルネームを必ずつけ、発言者が誰であるか(どの発言と同じ人物であるか)を明確にすること
これは“誰”が“どの発言”を“誰”にしているのかが解らないことで、考察や議論の妨げになることを防ぐためのルールです。ご理解とご協力をいただける方、このスレッドでまだまだ終わらない『うみねこ』考察を楽しみませんか?
『最終考察 うみねこのなく頃に 考察』 http://keena。web。fc2。com/
『うみねこ』用辞書 http://keena。web。fc2。com/uminekojisyo。txt
『うみねこ』テキスト抽出ツール http://harmonicharmo。nobody。jp/bunko/
(それぞれ“。”は“ピリオド”に変換)
仮名で構わないから、1人1つのハンドルネームを必ずつけ、発言者が誰であるか(どの発言と同じ人物であるか)を明確にすること
これは“誰”が“どの発言”を“誰”にしているのかが解らないことで、考察や議論の妨げになることを防ぐためのルールです。ご理解とご協力をいただける方、このスレッドでまだまだ終わらない『うみねこ』考察を楽しみませんか?
『最終考察 うみねこのなく頃に 考察』 http://keena。web。fc2。com/
『うみねこ』用辞書 http://keena。web。fc2。com/uminekojisyo。txt
『うみねこ』テキスト抽出ツール http://harmonicharmo。nobody。jp/bunko/
(それぞれ“。”は“ピリオド”に変換)
15: 名前: ケーナ:2013/01/15 03:49ID:3a7XyvVf
タチバナさん >>7 >>9
>数十年後なのだから、20年後~90年後くらいでしょう?
>ケーナさんは日本語のセンスが微妙におかしいです。
これは“最短”と書くべきところなのかもしれませんが
「これじゃあ最低でも10年はムショ暮らしだろうな」
というふうに使われたりもしますので
特に問題はないかと
>一応僕は使い分けてるつもりなんですが、
>推理は解答を絞るものですが、考察はむしろ解答を広げるものであると思います。
このあたりはそれぞれの言語感覚でしょうね
僕は“考察”と“創作”で使い分けています
僕にとって“■『うみねこ』はファンタジー?”は
『最考考』のほかの考察の柱に比べて
“創作”の傾向が飛びぬけて高く思えましたので
『最考考』には採用しなかった次第です
>>“読む”とは表現されていますが、これは実際に本を読んでいるわけではなく、
>>観劇者権限のように手で触れるとそのカケラの出来事が映像として観えるのでしょう。
>突っ込んでなかったですけど、これはおかしいです。
>“「……“観劇者権限”か。………それを元老院の許可なく与えることは禁じられてるはず。」”
>とあり、“観劇者権限”のように観えているのであれば、
>このようなやり取りを行なうことは違和感があります。
観劇者権限は相手に触れるだけで
相手の意思に関わりなく相手の体験したことを認識できる能力です
気軽に他人に与えて良いものではないのでしょう
また 観劇者権限は“特殊能力”にあたるものですが
カケラは触れた者は無条件で内容が理解出来るものでしょうから
全然違うものです
僕が観劇者権限を例として取り上げたのは
作品中においてカケラを覗く場面よりも
こちらの方が具体的で
理解しやすいだろうと考えたからに過ぎません
>>魔女ならば“カケラ”を操れるため
>>文字をチマチマ綴って物語を書く必要などないのです
>フェザリーヌの話を一言も聞いてないんでしょうか。
フェザリーヌは“尊厳なる観劇と戯曲と傍観の魔女”です
執筆することによって魔法を使うのは
フェザリーヌ固有の能力であって
魔女全般に共通する力ではありません
フェザリーヌは何が凄いって
普通の魔女は自分の領地でしか自分の力を発揮できません
そして航海者の魔女は自分の領地を離れても力を発揮できます
ところがフェザリーヌの場合は執筆することによって
自分のいる世界そのものを書き換えることが出来るのです
また“カケラを紡ぐ能力”もやはりベルンとフェザリーヌ
この2人固有の能力なのかもしれません
ベルンにこれが出来るのは古手梨花が前身であるからでしょうし
フェザリーヌは“観劇”と“傍観”の魔女ですから
現実世界の過去を見せるのはベアトもラムダもやっているわけで
これは魔女全般に共通した能力と思われます
>ミステリー部分は竜騎士07が、ファンタジー部分はフェザリーヌが執筆した
>合作であるという解釈が一番すんなり通るかと思いますが。
僕としては作品内で完結した解釈の方が良いのではないかと思います
ベルンもフェザリーヌもゲームのカケラを持っていましたから
それぞれのゲームがカケラとして幻想世界を漂っていて
それをベルンとフェザリーヌがそれぞれ紡いで持っている
と考えるのが一番妥当ではないでしょうか?
EP5で戦人が立ち会った場面がまさにそれですし
>鷹野三四はラムダの駒と考える方が普通だと思います。だから別人です。
だとするとラムダとベルンとの因縁はどうなりますか?
>>僕も「赤字はアンチミステリーへのアンチテーゼ」は通ると思っています
>どういう意味で言ってるかは分かりかねますけど、普通に両立すると思いますよ。
>ミステリーでもありアンチミステリーでもあるということ自体が普通にあり得ますから。
これは“一般的な解釈として”の話ですよね
僕とウソッキーさんが言っているのは
『アンチミステリーとアンチファンタジーについて』の解釈としての話です
おそらく過去ログを漁れば理解出来ると思いますが
出来たらタチバナさん自身の力で理解して
それをタチバナさんの言葉でちびゆかさんに伝えてもらいたいのです
二本の矢では駄目でしたが三本の矢では果たしてどうでしょう?
>“作者の想定する解でなくてもいいから自由に解釈して欲しい”という話は、
>耳が腐るほどしてる気がしますけど。
それと同時に以下のような内容があります
“(聞き手)どうして明確な謎解きを出さなかったのかをお聞かせ願えますでしょうか。
それは、この作品が議論して楽しむゲームだからです。ゲームである以上、挑戦した人だけ、議論をして色々な情報を集めた人だけがゴールに辿り着けるようにしたかったんですよ。これこそが『うみねこのなく頃に』がゲームである理由です。(中略)今後も「真相はどこかに書かないんですか?」といった内容の質問を受けると思いますが、一切触れないことが真剣にプレイしてくれた人に対する一番の恩返しになると思っています。”
“『うみねこ』では、考えた人にしか分からない犯人。コピペでは分からない犯人にしたかったんです。そういう意味で「ヤス」は、画期的な発明だったと思います。”
“EP1や2の時点では複数あるのだけれど、それを全部足していくと、一本しか筋が通らないという風に作ったつもりです。”
“(KEIYA)一つの真実を言い当ててほしいというよりは、ある程度の範囲内でいくつかの説があってもいいという感じですか。
それはもちろんですよ。ある程度のゆとりは残しているつもりなので。「ベルンの出題」のように、明確な一つの答えにするつもりは毛頭ないですよ。でも、突き詰めればほぼ間違いない答えが出てくるようにはできています。”
これらを解釈すると「いろいろ考えてもらっても結構ですけど、答えは1つですよ」
という竜騎士07さんのメッセージになりませんか?
>書斎なら反撃される可能性も少ないので、
>真正面から銃で向かっていってもいいという話?
これもまた逆です
狭く遮蔽物も多い書斎なら反撃を受ける可能性が高いです
それなのに真っ向勝負を挑んだわけです
ならば広く遮蔽物のない食堂なら
毒物などの小手先の技に頼る必要など
尚更ないだろうということです
>>この部分に関してはタチバナさんにはきちんと説明し
>>一応理解をいただけたと思っていますが
>>そのやり取りをご覧になっても考え方は変わりませんか?
>あれ、僕がケーナさんの考えで理解できた部分って何かあったっけ。
前スレ >>978
>僕はタチバナさんの“血を吐く毒”を肯定する根拠を作品中に示せませんが
>同時に否定する根拠も作品中に示せません
>あくまで「僕はこう思う」としか書けないのです
>そのオプションの1つに“作者のミス”も加えるべきだということです
こういう言い方であれば理解できる考えですし。
これで納得してもらったという認識でしたが
違うのでしょうか?
>「この考察の結果、どのような結論に至るのか」
>なんてどうして最初に言わなきゃならないんでしょうか。
>結論から先に考えるなんて、考察でも推理でもなく、ただの妄想です。
仮説を立ててそれを検証するのが実験です
考察もそれと同じだと思います
例えば『最考考』に“■金蔵は夏妃を嫌っていたの?……068~”
という考察の柱があります
これは本文中の記述から「本当に金蔵は夏妃を嫌っていたのだろうか?」と
疑問を持ち
「もしかすると金蔵は夏妃を嫌ってはいなかったのでは?」
という仮説を立てました
そして本文中からこの考察に関する記述を
肯定する記述も否定する記述も集め
それらを分析した結果
「金蔵は夏妃を嫌っていなかった」という考察が成り立つことが解ったので
考察の柱としました
この考察のミソはこれが正解とは限らないということです
あくまで“成立しうる”という話です
以前 時代劇の時代考証をする人が書いていましたが
時代考証とは“出来ないこと”を確認するのではなく
“出来ること”を確認するものなのだそうです
「この時代にこれがあったか?」ではなく
「この時代にこれがあっても大丈夫か?」
ということです それと同じですね
ただ これは考察のスタイルの一例です
同じテーマで集めた材料から考察の柱を作ることもあります
僕がオプスさんに言いたいのは
「そのことを考えることに何の意味があるのかを考えた上で考えなければならない」
ということです
オプスさんの考察が僕の目から見て見当違いなのは
この考え方が出来ていないからです
“ビジョンがない”のです
そのため どうでも良い真里亞の言動に注目してしまい
意味のない考察をしてしまうわけです
もっともこれはオプスさんに限らず
多くの考察者が同じようなことをしています
>>赤字で定義されない限り
>>それは信用出来ないのです
>それを言うなら、赤字で人格死なんて定義されてないので信用できないですよね。
赤字で死亡認定されているはずの人間でなければ
不可能な殺人があるわけで
赤字での死亡認定が絶対ならば
人格死という解釈しか残りません
ちなみにタチバナさんは別人説だそうですが
EP6はどう潜るのですか?
>殺人を行なったのは紗音の肉体であるという点については変わってないです。
>だけど、ノックスやヴァン・ダインによって、
>ファンタジー的解釈をしないと説明が難しくなっています。
>ノックスやヴァン・ダインはファンタジー的解答への誘導だと言ってるのはそういうことです。
だからそれがミステリーで許されるのか?
という話です
『うみねこ』はミステリーですか? それともファンタジーですか?
>僕に言わせれば、人格死だってファンタジーなので、
>人格死を認められて何故この考えを認められないのかは非常に不思議なのですが。
人格死は本文中で以下のようにそれを認める記述があるためです
“「本来、人は人であり、人格そのものを指して人とは呼びません。しかし、人格を人と認めるニンゲンたちにとって、それはさながら他人のようなものでしょう…」(幾子)(EP6)
私たちにとって人格が人そのものならば。たとえ同じ肉体を共有していても、異なる人格を指して別人であると言い切れるだろう。人は同じ人間であっても、別人になる得る。いや、生い立ちと無限の可能性によって、無数の数の別人になる得るのだ。”
>ファンタジー説と言ったかと思えば、命令権者という考え方は理解できないと言うし、
ファンタジーなのはこの作品の大枠部分です
ゲーム盤はミステリー
“命令権者”“ベアト人格”を認めてはいますが
ミステリーの解答としてそれはどうなの?
ということです
>人が言ってることの逆を言いたいだけで
>自分自身の考えすら持ってないように見えてしまうんですよね。
『最考考』であれだけ自分の考えを書いているのにですか?
僕がこの場で書いていることは『最考考』の延長でしかありませんよ
もし「『最考考』に書いてあることと違う」と思ったなら
それは単に読めていないだけです
ご指摘いただいたらきちんと説明します
ちなみに例の《赤:紗音は使用人である》に関しては
「考えを変えた」と書きました通り
『最考考』とは違うことを書いています
>数十年後なのだから、20年後~90年後くらいでしょう?
>ケーナさんは日本語のセンスが微妙におかしいです。
これは“最短”と書くべきところなのかもしれませんが
「これじゃあ最低でも10年はムショ暮らしだろうな」
というふうに使われたりもしますので
特に問題はないかと
>一応僕は使い分けてるつもりなんですが、
>推理は解答を絞るものですが、考察はむしろ解答を広げるものであると思います。
このあたりはそれぞれの言語感覚でしょうね
僕は“考察”と“創作”で使い分けています
僕にとって“■『うみねこ』はファンタジー?”は
『最考考』のほかの考察の柱に比べて
“創作”の傾向が飛びぬけて高く思えましたので
『最考考』には採用しなかった次第です
>>“読む”とは表現されていますが、これは実際に本を読んでいるわけではなく、
>>観劇者権限のように手で触れるとそのカケラの出来事が映像として観えるのでしょう。
>突っ込んでなかったですけど、これはおかしいです。
>“「……“観劇者権限”か。………それを元老院の許可なく与えることは禁じられてるはず。」”
>とあり、“観劇者権限”のように観えているのであれば、
>このようなやり取りを行なうことは違和感があります。
観劇者権限は相手に触れるだけで
相手の意思に関わりなく相手の体験したことを認識できる能力です
気軽に他人に与えて良いものではないのでしょう
また 観劇者権限は“特殊能力”にあたるものですが
カケラは触れた者は無条件で内容が理解出来るものでしょうから
全然違うものです
僕が観劇者権限を例として取り上げたのは
作品中においてカケラを覗く場面よりも
こちらの方が具体的で
理解しやすいだろうと考えたからに過ぎません
>>魔女ならば“カケラ”を操れるため
>>文字をチマチマ綴って物語を書く必要などないのです
>フェザリーヌの話を一言も聞いてないんでしょうか。
フェザリーヌは“尊厳なる観劇と戯曲と傍観の魔女”です
執筆することによって魔法を使うのは
フェザリーヌ固有の能力であって
魔女全般に共通する力ではありません
フェザリーヌは何が凄いって
普通の魔女は自分の領地でしか自分の力を発揮できません
そして航海者の魔女は自分の領地を離れても力を発揮できます
ところがフェザリーヌの場合は執筆することによって
自分のいる世界そのものを書き換えることが出来るのです
また“カケラを紡ぐ能力”もやはりベルンとフェザリーヌ
この2人固有の能力なのかもしれません
ベルンにこれが出来るのは古手梨花が前身であるからでしょうし
フェザリーヌは“観劇”と“傍観”の魔女ですから
現実世界の過去を見せるのはベアトもラムダもやっているわけで
これは魔女全般に共通した能力と思われます
>ミステリー部分は竜騎士07が、ファンタジー部分はフェザリーヌが執筆した
>合作であるという解釈が一番すんなり通るかと思いますが。
僕としては作品内で完結した解釈の方が良いのではないかと思います
ベルンもフェザリーヌもゲームのカケラを持っていましたから
それぞれのゲームがカケラとして幻想世界を漂っていて
それをベルンとフェザリーヌがそれぞれ紡いで持っている
と考えるのが一番妥当ではないでしょうか?
EP5で戦人が立ち会った場面がまさにそれですし
>鷹野三四はラムダの駒と考える方が普通だと思います。だから別人です。
だとするとラムダとベルンとの因縁はどうなりますか?
>>僕も「赤字はアンチミステリーへのアンチテーゼ」は通ると思っています
>どういう意味で言ってるかは分かりかねますけど、普通に両立すると思いますよ。
>ミステリーでもありアンチミステリーでもあるということ自体が普通にあり得ますから。
これは“一般的な解釈として”の話ですよね
僕とウソッキーさんが言っているのは
『アンチミステリーとアンチファンタジーについて』の解釈としての話です
おそらく過去ログを漁れば理解出来ると思いますが
出来たらタチバナさん自身の力で理解して
それをタチバナさんの言葉でちびゆかさんに伝えてもらいたいのです
二本の矢では駄目でしたが三本の矢では果たしてどうでしょう?
>“作者の想定する解でなくてもいいから自由に解釈して欲しい”という話は、
>耳が腐るほどしてる気がしますけど。
それと同時に以下のような内容があります
“(聞き手)どうして明確な謎解きを出さなかったのかをお聞かせ願えますでしょうか。
それは、この作品が議論して楽しむゲームだからです。ゲームである以上、挑戦した人だけ、議論をして色々な情報を集めた人だけがゴールに辿り着けるようにしたかったんですよ。これこそが『うみねこのなく頃に』がゲームである理由です。(中略)今後も「真相はどこかに書かないんですか?」といった内容の質問を受けると思いますが、一切触れないことが真剣にプレイしてくれた人に対する一番の恩返しになると思っています。”
“『うみねこ』では、考えた人にしか分からない犯人。コピペでは分からない犯人にしたかったんです。そういう意味で「ヤス」は、画期的な発明だったと思います。”
“EP1や2の時点では複数あるのだけれど、それを全部足していくと、一本しか筋が通らないという風に作ったつもりです。”
“(KEIYA)一つの真実を言い当ててほしいというよりは、ある程度の範囲内でいくつかの説があってもいいという感じですか。
それはもちろんですよ。ある程度のゆとりは残しているつもりなので。「ベルンの出題」のように、明確な一つの答えにするつもりは毛頭ないですよ。でも、突き詰めればほぼ間違いない答えが出てくるようにはできています。”
これらを解釈すると「いろいろ考えてもらっても結構ですけど、答えは1つですよ」
という竜騎士07さんのメッセージになりませんか?
>書斎なら反撃される可能性も少ないので、
>真正面から銃で向かっていってもいいという話?
これもまた逆です
狭く遮蔽物も多い書斎なら反撃を受ける可能性が高いです
それなのに真っ向勝負を挑んだわけです
ならば広く遮蔽物のない食堂なら
毒物などの小手先の技に頼る必要など
尚更ないだろうということです
>>この部分に関してはタチバナさんにはきちんと説明し
>>一応理解をいただけたと思っていますが
>>そのやり取りをご覧になっても考え方は変わりませんか?
>あれ、僕がケーナさんの考えで理解できた部分って何かあったっけ。
前スレ >>978
>僕はタチバナさんの“血を吐く毒”を肯定する根拠を作品中に示せませんが
>同時に否定する根拠も作品中に示せません
>あくまで「僕はこう思う」としか書けないのです
>そのオプションの1つに“作者のミス”も加えるべきだということです
こういう言い方であれば理解できる考えですし。
これで納得してもらったという認識でしたが
違うのでしょうか?
>「この考察の結果、どのような結論に至るのか」
>なんてどうして最初に言わなきゃならないんでしょうか。
>結論から先に考えるなんて、考察でも推理でもなく、ただの妄想です。
仮説を立ててそれを検証するのが実験です
考察もそれと同じだと思います
例えば『最考考』に“■金蔵は夏妃を嫌っていたの?……068~”
という考察の柱があります
これは本文中の記述から「本当に金蔵は夏妃を嫌っていたのだろうか?」と
疑問を持ち
「もしかすると金蔵は夏妃を嫌ってはいなかったのでは?」
という仮説を立てました
そして本文中からこの考察に関する記述を
肯定する記述も否定する記述も集め
それらを分析した結果
「金蔵は夏妃を嫌っていなかった」という考察が成り立つことが解ったので
考察の柱としました
この考察のミソはこれが正解とは限らないということです
あくまで“成立しうる”という話です
以前 時代劇の時代考証をする人が書いていましたが
時代考証とは“出来ないこと”を確認するのではなく
“出来ること”を確認するものなのだそうです
「この時代にこれがあったか?」ではなく
「この時代にこれがあっても大丈夫か?」
ということです それと同じですね
ただ これは考察のスタイルの一例です
同じテーマで集めた材料から考察の柱を作ることもあります
僕がオプスさんに言いたいのは
「そのことを考えることに何の意味があるのかを考えた上で考えなければならない」
ということです
オプスさんの考察が僕の目から見て見当違いなのは
この考え方が出来ていないからです
“ビジョンがない”のです
そのため どうでも良い真里亞の言動に注目してしまい
意味のない考察をしてしまうわけです
もっともこれはオプスさんに限らず
多くの考察者が同じようなことをしています
>>赤字で定義されない限り
>>それは信用出来ないのです
>それを言うなら、赤字で人格死なんて定義されてないので信用できないですよね。
赤字で死亡認定されているはずの人間でなければ
不可能な殺人があるわけで
赤字での死亡認定が絶対ならば
人格死という解釈しか残りません
ちなみにタチバナさんは別人説だそうですが
EP6はどう潜るのですか?
>殺人を行なったのは紗音の肉体であるという点については変わってないです。
>だけど、ノックスやヴァン・ダインによって、
>ファンタジー的解釈をしないと説明が難しくなっています。
>ノックスやヴァン・ダインはファンタジー的解答への誘導だと言ってるのはそういうことです。
だからそれがミステリーで許されるのか?
という話です
『うみねこ』はミステリーですか? それともファンタジーですか?
>僕に言わせれば、人格死だってファンタジーなので、
>人格死を認められて何故この考えを認められないのかは非常に不思議なのですが。
人格死は本文中で以下のようにそれを認める記述があるためです
“「本来、人は人であり、人格そのものを指して人とは呼びません。しかし、人格を人と認めるニンゲンたちにとって、それはさながら他人のようなものでしょう…」(幾子)(EP6)
私たちにとって人格が人そのものならば。たとえ同じ肉体を共有していても、異なる人格を指して別人であると言い切れるだろう。人は同じ人間であっても、別人になる得る。いや、生い立ちと無限の可能性によって、無数の数の別人になる得るのだ。”
>ファンタジー説と言ったかと思えば、命令権者という考え方は理解できないと言うし、
ファンタジーなのはこの作品の大枠部分です
ゲーム盤はミステリー
“命令権者”“ベアト人格”を認めてはいますが
ミステリーの解答としてそれはどうなの?
ということです
>人が言ってることの逆を言いたいだけで
>自分自身の考えすら持ってないように見えてしまうんですよね。
『最考考』であれだけ自分の考えを書いているのにですか?
僕がこの場で書いていることは『最考考』の延長でしかありませんよ
もし「『最考考』に書いてあることと違う」と思ったなら
それは単に読めていないだけです
ご指摘いただいたらきちんと説明します
ちなみに例の《赤:紗音は使用人である》に関しては
「考えを変えた」と書きました通り
『最考考』とは違うことを書いています
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